Photo by Musa @ Turkey

Jan 8, 2011

【エジプトと宗教】え?僕がイスラム教徒?

ってことがエジプトでは稀に起こるらしい。
何のことでしょうか。

【エジプト人Aさんのケース】
カイロの下町にキリスト教徒(コプト教徒)の家族(夫婦&その子ども(Aさん))がおりました。
家族は幸せに暮らしていたのですが、ある日、父親が蒸発。
どうやら不倫相手のところに行ってしまったようです。

悲しいかな、家族は離ればなれ。
残されたAさんは母親と静かに暮らしていました。

さて、時期が来てAさんも学校に通うことに。
すると初日に先生がAさんにこう言います。

「君はイスラム教徒だから、コーラン(イスラム教の啓典)の授業を受けてね。」

Aさんはビックリ。
「いや、僕はキリスト教徒です。毎週教会に通っていますし、ほら、手首には十字架のタトゥーも彫ってあります。」

先生曰く
「戸籍上はイスラム教徒になってるよ。お父さんがちょっと前にイスラム教に改宗しているからね。」

Aさん「いや、両親はもう離婚し・・」

先生「それは関係ないみたいだよ。とにかく、君はイスラム教徒なんだ。」


どうやらAさんの父親はイスラム教徒の女性と恋に落ち、彼女と再婚すべくイスラム教に改宗したようなのです。


エジプトには主にイスラム教徒(人口の90%)とキリスト教徒(10%)がいます。
この両宗教間。現在の制度ではキリスト教徒がイスラム教に改宗することは認められていますが、イスラム教徒がキリスト教に改宗することは認められていない、とのことなのです。

イスラム教、入り口は凄く大きいけど出口はない、ということ。

そして、親がイスラムに改宗した場合、子どもも自動的にイスラム教徒になり、イスラム教徒の名前が登録されます。

これは、憲法上「信仰の自由」が保証されているにも関わらず、シャーリア(イスラム法)を主要な法源として採用することが同じく憲法上定められており、現在採用されているシャーリア上はこのような法制度になっていることが原因らしいです。

イスラム教というのは、預言者ムハンマドが商才に長けた人物だったと言われていることからもわかるように、「商人(あきんど)の宗教」で、どんどん信者が増えるような仕組みになっているのです。

今回のAさんの場合も、行方不明の父親が、Aさんの知らないうちにイスラム教に改宗していたので、息子であるAさんも戸籍上は勝手にイスラム教徒になっていた、ということです。
そして、先述のように「イスラム教徒がキリスト教に改宗」することは認められないため、Aさんはもうキリスト教徒には戻れないのです。。。

【So what??】
さて、ここまでの話だけだと、「宗教や信仰は内面の問題である」と考える日本人には重大性が見えてこないと思います。

まず、Aさんのストーリーにも出てきた「学校」の話。

エジプトの学校では週に何回か「宗教」の授業があります。
この授業ではイスラム教徒とキリスト教徒に分かれ、それぞれコーランや聖書を読んだりするようです(若干細かい話ですが、この授業が行われる際、イスラム教徒の児童は教室に残り、キリスト教徒の児童が他の教室や屋上やらに移動させられることになっているらしいです。)。

要するにAさんは自分が信仰している聖書を読ませてもらえず、無理矢理コーランを読まされることになるのです。

また、エジプトでは戸籍に「宗教」を記載する欄があり、同様に各自が保有するIDカードにも宗教欄が設けられています。

Aさんの場合、いくら自分のことを「キリスト教徒だ」と言ってみたところで、IDには「イスラム教徒」とハッキリ記載されるわけです。

こうして憲法で高々と掲げられている「信仰の自由」が思いっきり侵害されているわけです。

ちなみにこのIDカードの宗教欄。
信仰の自由の侵害に加え、イスラム教徒(多数派)によるキリスト教徒(少数派)に対する差別の原因にもなっているようです。


【キリスト教徒に対する差別・偏見】
イスラム教徒とキリスト教徒は常に緊張状態にあるというわけではありません。
でも、両者間には、根っこの部分にちょっとした壁があるような気がする。

極端な例かもしれませんが、あるイスラム教徒は「キリスト教徒は汚い」と言い、キリスト教徒の家でお茶や食事が出されたら気持ち悪くて食べたくない、とまで言います。
その理由が「キリスト教徒はトイレでウォシュレット(注)を使わないから」とか「左手でモノを食べるから」とかですから笑っちゃいました。

(注1;ここでいうウォシュレットは日本のものとは似ても似つかない、エジプト版のかなり簡易的なもののことでして、俺からすると逆に使ったら汚れるうえに変な病気になるんじゃないかと思える形状のものばかり。便器の中から錆び付いたパイプがぐねっと上向いて出てて、そこからチョロチョロ水が出てくる、というもので、うちのトイレは新しいこともあってまだマシなのですが、エジプト人に家のトイレ使わせるとこのウォシュレットのせいで大体床がビチャビチャ・・・勘弁してくれ。。。)

また、乗ったタクシーの運転手がキリスト教徒だったことが何回かありますが、どの人も「エジプトにはキリスト教徒に対する差別がある、生活し難い」と言います。
本当か嘘かわかりませんが、病院やらお役所やらで窓口が混雑しているとき、普通は先着順ですが、受付担当がイスラム教徒だったりした場合、まずイスラム教徒から優先的に呼ばれていく、なんてことがあるそうで(ちなみにエジプトでは名前だけでイスラム教徒かキリスト教徒か判断できることが多いので、色々な場所でこういったことが起こりうる)。

加えて、宗教欄の存在のせいで、例えば就職のときなんかに「キリスト教徒は受け付けない」といった差別もされるそうです。

去年のイラクでの教会襲撃事件、元旦のアレクサンドリアでの教会爆発事件はこういった問題(具体的に言うと、とあるコプト司祭の妻がイスラム教に改宗するのを司祭が嫌がってその妻を監禁してるとか、そんなん)を利用したものだった、といえると思います。

解決にはIDの「宗教欄の廃止」とキリスト教への「改宗を認めるシャーリアの採用」以外に無いと思いますが、アレクサンドリア以降の動向(結局コプト教徒のクリスマスには何も起こらなかったようで一安心だが、問題は何も解決していない)も踏まえ、エジプトの二大宗教の関係と「ムスリムの国」エジプトは果たしてどうなっていくんでしょう。

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